プログレッシブ・ロック三大バンドのひとつと言われているピンク・フロイド。
作品の総売り上げは2億5000万枚以上、代表作「狂気」は全米チャートに約15年間ランクインし続けたという伝説を残しています。
今回は、ピンク・フロイドの軌跡を辿りながら、レコードの買取相場を解説していきます。
ピンク・フロイドとは
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンなどと並んで英国を代表するバンドであり、史上最も成功したバンドのひとつです。
アンニュイで幻想的なサウンドを含む音楽性、大掛かりな仕掛けによるライブ、文学的・哲学的な歌詞で世界的な人気を誇り、後進のアーティストにも多大な影響を与えています。
【歴代メンバー】
・シド・バレット(ボーカル / ギター)
・ロジャー・ウォーターズ(ボーカル / ベース)
・リチャード・ライト(キーボード)
・ニック・メイスン(ドラム)
・デヴィッド・ギルモア(ボーカル / ギター)
レコード買取相場
タイトル | 参考買取価格 |
---|---|
ピンク・フロイドの道(Relics)(LP : OP-80261) | 2,000円 |
モア(LP : OP-80165) | 2,000円 |
狂気(4ch)(The Dark Side Of The Moon)(LP : EMZ-82005) | 4,000円 |
神秘(A Saucerful Of Secrets)(LP : OP-8743) | 10,000円 |
ウマグマ(Ummagumma)(LP : OP-8912~13) | 50,000円 |
シド・バレット・ウィズ・ピンク・フロイド(LP : OP-80173) | 50,000円 |
エミリーはプレイガール(See Emily Play)(EP : OR-1785) | 300,000円 |
※買取価格は状態、付属品の有無によって大きく変わります。
また相場状況でも変動がございますので、ご参考程度にお考えください。
ピンク・フロイドの足跡
①前期 / サイケデリック・ロックと実験音楽
1965年にバンドを結成し、アンダーグラウンドで精力的にライブ活動を展開。
徐々に認知度と評価を高め、複数のレコード会社での争奪戦の末にEMIと契約を結びました。
デビューシングル「アーノルド・レーン」は全英20位のヒットとなり、続くセカンドシングルも全英6位のヒットを記録。
バンドの柱でもあるバレットは、この頃からLSDの過剰摂取により奇行が目立ち、活動に支障をきたし始めます。
1968年にはそれを補う形でギルモアが加入。
バレットには曲作りに専念してもらおうという考えでしたが、それすら不可能となるほどバレットが重症となり、同年に脱退。
バンドは方針を変え、サイケデリック・ロックから脱却し、より独創性の高い音楽を目指します。
楽曲の構成力に磨きをかけ、アルバム「神秘」を発表。
また、この頃は映画のサウンドトラックも担当しており、映画「モア」や「砂丘」の音楽を手がけ、キューブリック作品についても依頼が来ていたという逸話もあります。
②中期 / プログレッシブ・ロック
1970年にアルバム「原子心母」を発表し、全英1位を記録。
批評家からも絶賛され、音楽的・商業的に成功を収めます。
また本作以降、プログレッシブ・ロックを代表するバンドとして認知されるようになりました。
翌年発表されたアルバム「おせっかい」では、23分を超える大作「エコーズ」が収録されており、バンドが音楽的に大きく飛躍するきっかけとなりました。
ちなみに同アルバム収録の「吹けよ風、呼べよ嵐」はプロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーの入場曲としても有名ですね。
1973年、コンセプトアルバム「狂気」を発表し、初の全米1位を記録するなど全世界で大ヒットを記録し、一躍スターへとのし上がります。
以降、フロイドを取り巻く環境は一変し、コンサートの観客数は大幅に増え、客層も変わっていきました。
このことはバンドのメンバー、特にウォーターズを苛立たせ、この年のツアーを終えるとフロイドは長期休暇に入ります。
1974年に入り、「狂気」に続くアルバム制作を進めるも、成功によるプレッシャーや、やりたいことをやり尽くした満足感、メンバーの個人的問題などから、制作は困難を極めました。
1975年に難産の末「炎~あなたがここにいてほしい」を発表。
伸び悩みましたが、最終的には全米・全英共に1位を記録しました。
このアルバムにはシド・バレットに捧げたといわれる「クレイジー・ダイアモンド」が収録されています。
またレコーディング中にバレットがスタジオに姿をみせましたが、あまりの変わり果てように、最初は誰もバレットだと気付かなかった、という悲しい背景もあります。
この頃から次第に、ウォーターズの独裁政権となっていきます。
1977年に発表した「アニマルズ」のアートワークで使用された空飛ぶ豚は、バンド独自のキャラクター「ピンク・フロイド・ピッグ」として定着し、ライブで使われ続けることとなりました。
1979年、2枚組アルバム「ザ・ウォール」を発表し、シングル「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」とともに大ヒットを記録。
しかし、バンド内ではウォーターズの独裁化がかなり進行しており、ライトを解雇するなど、メンバー間の亀裂は深くなる一方でした。
③後期 / 減退と終焉
さらにウォーターズの独裁政権は進み、メンバーとの仲は壊滅状態となります。
活動は停止状態となり、メンバーはソロ活動をおこないました。
1985年、ウォーターズが「ピンク・フロイドは創造性を使い切った」として脱退。
自分が脱退することで、バンドの解散を意図していたウォーターズでしたが、ギルモアは活動継続を決め、新生ピンク・フロイドを立ち上げます。
しかし、激怒したウォーターズは訴訟を起こし、最終的には条件付きで両者は和解。
この対立はマスコミやファンの注目の的となりました。
その後も、ピンク・フロイド側とウォーターズ側は対立していましたが、1990年代後半からは少しずつ距離が縮まっていきます。
2014年にアルバム「永遠 / TOWA」を発表し、「これがピンク・フロイドのラストアルバムになる」とギルモアは明言しています。
まとめ
今回は、ピンク・フロイドの軌跡を辿りながら、レコードの買取相場を解説してきましたが、いかがでしたか?
15年間チャートにランクインし続けるという偉業は、現在でもその記録を破られていないそうです。
さて、TU-Fieldでは聴かなくなったレコードの買取をおこなっています。
ダウンロードやCDでは手に入らない、廃盤になった作品がレコードには多くあります。
素晴らしい音楽や芸術を、次の世代に引き継ぐためにも【処分】ではなく、
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