1962年のデビュー以降、多くの作品を発表し、同時代にデビューしたビートルズにまで影響を与えたボブ・ディラン。
79歳となった今でも、精力的にライブ活動などをおこなっており、生ける伝説とも言われています。
今回は約半世紀にわたり、ロックの時代をつくり変革し、様々な人々の人生に影響を与えてきたボブ・ディランの軌跡を辿りながら、レコードの買取相場について解説していきます。

ボブ・ディランの活動について

デビュー~1980年までの活動

1962年にアルバム「ボブ・ディラン」でデビューをしますが、セールスは低迷。
当時はフォークやブルースを中心に歌っていましたが、様々なものに創作の影響を受けて、急速に新しい楽曲を制作していきます。
1963年にアルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」を発表し、選挙人登録集会で演奏。
ピーター・ポール&マリーがカバーした「風に吹かれて」がビルボード2位のヒットを記録します。
公民権運動が高まりを見せていたアメリカでは「フォークの貴公子」として支持を受け、時代の代弁者と言われるようになりました。
しかし、この頃から世間が抱いている自分へのイメージに違和感をもち、スタイルを変えていきます。
1964年頃からは、エレクトリック楽器を取り入れた作品を矢継ぎ早に発表し、従来のフォークソング愛好者からは「フォークへの裏切り」とバッシングを受けました。
しかし、従来のファン以上に新しいファン層を多く獲得し、この時期の作品はロック史の大きなターニングポイントとしても位置づけられているほどです。
まさに絶頂期だった1966年にはオートバイ事故を起こし、重傷が報じられ、すべてのスケジュールをキャンセルして隠遁をします。
当時ドラッグやコンサートツアーに明け暮れ、疲弊していたボブ・ディランには良い休養となり転機ともなりました。
翌年の1967年からは復帰し、制作活動に打ち込んでいきます。
1973年に映画出演をきっかけに活動を再開。
挿入歌の「天国への扉」は、自身の楽曲の中でもカバーするアーティストが多い一曲となりました。
もともとユダヤ人、ユダヤ教徒として出生していますが、1979年にキリスト教福音宗に改宗します。
同年に発表したアルバム「スロー・トレイン・カミング」はゴスペル色の強い作品で、後のゴスペル三部作へと続きます。

1980年~1990年までの活動

1980年に発表したアルバム「セイヴド」、1981年に発表したアルバム「ショット・オブ・ラブ」(前述した「スロー・トレイン・カミング」を加えてゴスペル三部作と呼びます)
この時期のコンサートはゴスペル三部作の楽曲しか演奏せず、批判を浴びて動員も伸び悩みました。
その影響もあったのか、1983年にはユダヤ教に回帰しています。
この頃から時代は多重録音の手法がメインとなり、ボブ・ディランも試行錯誤を繰り返しますが、時代の波になかなか乗れなかったようです。
1985年以降はチャリティーコンサートなどに参加し、1988年にはロイ・オービソン、ジョージ・ハリスン、ジェフ・リン、トム・ぺティと覆面バンド「トラヴェリング・ウィルベリーズ」を結成し、2枚のアルバムを発表しました。

1990年~2000年までの活動

この頃から小さなホールで最小限のメンバーを揃え、即興性を前面に押し出したショウを始め、以降のツアーはファンの間からは「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれるようになりました。
リードギターを弾きまくるスタイルへと変化し、1990年に「アンダー・ザ・レッド・スカイ」を発表。
その後作る必要性を感じないと、7年間も自作曲のアルバムは作りませんでした。
そして1997年、心臓発作で倒れるも復帰し、同年に新作のアルバムを発表することが明らかになり、新曲を待っていたファンたちは狂喜しました。
アルバム「タイム・アウト・オブ・マインド」は18年ぶりに全米トップ10に入り、グラミー賞年間最優秀アルバム賞を受賞します。
同年には、息子のジェイコブ・ディランもグラミー賞を受賞しており、親子そろっての受賞となりました。

2000年以降の活動

2002年のツアーからはギターをほとんど弾かなくなり、キーボードに専念するようになりました。
望んでいるサウンドが、ギターではカタチにしきれないことが理由だそうです。
2006年にアルバム「モダン・タイムズ」を発表し、ビルボードアルバムチャートで30年半ぶりの1位を獲得、しかも自身初となる初登場1位を果たしました。
また収録されている「サムデイ・ベイビー」もビルボードで98位を記録し、グラミー賞で「モダン・タイムズ」と「サムデイ・ベイビー」で二冠を達成します。
2008年にはピューリッツァー賞特別賞、2012年には大統領自由勲章、2016年には歌手としては初めてのノーベル文学賞を授賞と、デビューから約半世紀経っても伝説は続いています。

ボブ・ディランのレコード買取相場

今回は高価買取が見込める3作品をご紹介します。

まずは1966年に発表されたシングル「スーナー・オア・レイター」(型番:LL-919-C)ですが、状態が良ければ30,000円での買取が期待できます。

そして同年に発表されたアルバム「ボブ・ディラン第二集」(型番:YS-585-C)はボブ・ディランが自身のサウンドを確立し、後のニューミュージックの起点となった作品とも言われています。これは、50,000円超えの価格での買取が期待できます。

「ボブ・ディラン第四集」はプロテスト・ソングの代表曲が並び、初期のボブ・ディランのイメージがもっともよく出ている作品です。これも、50,000円超え、状態が良いものでは7万円買取になることもあります。

※レコードは状態や相場状況によって買取価格が変動します。
あくまでも参考程度にお考えいただくようお願いいたします。

まとめ

今回はボブ・ディランの軌跡を辿りつつ、レコードの買取相場も解説してきましたが、いかがでしたでしょうか?
デビューをしてからわずか1年ほどで時代の代弁者と言われるほどになり、当時22歳という若さを考えると、戸惑いやイメージへの葛藤は凄まじかったのではないかなぁと感じました。
さて、TU-Fieldでは聴かなくなったレコードの買取をおこなっています。
レコードはダウンロードやCDでは手に入らない、廃盤になったものも多くあります。
素晴らしい音楽や芸術を次の世代に引き継ぐためにも、【処分】ではなく【買取】を選んでいただけたら嬉しいです。
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