知る人ぞ知る実力派シンガー、布谷文夫。
目立つ功績があるわけではないですが、そのソウルフルな歌声に、現在でも多くのファンが存在します。彼のソロ作を聞いていない人でも、例えばシュガー・ベイブのアルバム最終曲「SUGAR」で声を聴いたことがあるかもしれません。
1973年に発表した大瀧詠一プロデュースのアルバム「悲しき夏バテ」は、オークションに出品されたら、すぐさま落札のレア盤となっています。
今回は、布谷文夫の経歴とレコードの買取相場について解説します。

布谷文夫の経歴

1967年に大瀧詠一と共に、バンド「タブー」を結成するも、同年に解散。
翌年、バンド「ビッキーズ」に参加し、メンバーチェンジを経て「ブルース・クリエイション」となります。
1969年にアルバム「BLUES CREATION」を発表。同年、日本で初めてのロック・フェスティバルにも出場します。
1970年にブルース・クリエイションを脱退し、洪栄龍らと「DEW」を結成。全日本フォークジャンボリーに出場するなど、精力的な活動をするも、わずか2年で解散し、1972年にソロシンガーに転向します。
翌年にはアルバム「悲しき夏バテ」を発表するも、売り上げは数百枚。
その後、サラリーマンとなり、その傍らで発表したのが「ナイアガラ音頭」でした。
以後、マイペースに音楽活動を続け、2012年脳出血により死去。64歳でした。

布谷文夫の高価買取レコード

LP1枚、EPシングル3枚を選出しましたが、どれも大瀧詠一つながりです。「悲しき夏バテ」「ナイアガラ音頭」は大瀧のプロデュースですし、あとのシングル2枚にははっぴいえんど時代に大瀧が作詞作曲した「颱風」のカバーが収録されています。

タイトル参考買取価格
悲しき夏バテ(LP:MR5037)150,000円
ナイアガラ音頭(EP:LK-15-E)2,000円
台風13号/冷たい女(EP:DR1799)2,000円
からのベッドのブルース(EP:POP-15)5,000円

※買取価格は状態、付属品の有無によって大きく変わります。基本的に国内盤LPは帯付きが前提となります。
また相場状況でも変動がございますので、ご参考程度にお考えください。

布谷文夫のトピックス

①ブルース・クリエイション

日本ロック史の草創期において、早くからハードロック・スタイルを取り込んだグループのひとつと言われています。
メンバーチェンジを繰り返し、1984年に解散。
その後、オリジナルメンバーである竹田和夫を中心に、2005年に再結成をしました。
現在も音楽活動を続けています。

②日本で初めてのロック・フェスティバル

出演者はブルース・クリエイション以外にゴールデン・カップス、パワー・ハウス、内田裕也とフラワーズ、エディ藩グループ、チューリップスなど、当時ではかなり前衛的な面々が揃っています。
その後70年代に各地で開催されるロック・フェスの雛型となっただけでなく、現在の人気大型ロック・フェスの源流として歴史にその名を残しています。

③大瀧詠一

布谷文夫とはバンド「タブー」の時から交流があり、「悲しき夏バテ」や「ナイアガラ音頭」などのプロデュースを手掛けています。大瀧が初めて組んだバンドは布谷文夫とのタブーであり、そして停止せざるを得なかった第1期ナイアガラで活躍したのも布谷文夫であったりと、この人がいなかったら大瀧詠一の活動は大きく異なっていたかもしれません。
しかも「ナイアガラ音頭」には、坂本龍一も参加していたりと、ぜいたくな顔ぶれです。

まとめ

今回は、布谷文夫の経歴とレコードの買取相場について解説しましたが、いかがでしたか? 表立った活躍ではありませんが、日本の音楽への貢献がすごい人ですね。

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