1960年代に吉永小百合と松原智恵子と共に「日活三人娘」と呼ばれ、絶大な人気を誇っていた和泉雅子。
青春映画での清く美しいイメージとは一転、冒険家の顔も持っています。
今回は、和泉雅子の経歴とレコード買取相場について解説していきます。

和泉雅子の経歴

10歳から子役として活動しており、その後日活のプロデューサーにスカウトされ、
1961年に日活に入社します。
青春映画に多数出演し、可憐で美しい容姿と高い演技力で人気を博します。
1963年に公開された映画「非行少女」では主演を務め、エランドール新人賞やモスクワ映画祭金賞を受賞しました。
モスクワ映画祭の審査員を務めたフランスの俳優、ジャン・ギャバンに「この子はすごい」と言わしめるほどだったとか…。
女優の活動に加え、歌手としても活動しており、1967年に発表したデュエット曲「二人の銀座」「東京ナイト」が大ヒット。
1971年からは日活が成人映画に路線を転換したことにより、本格的にテレビへと活動の場を移しました。
近年では、ユニークな持ち味を活かして、バラエティ番組などにも出演しています。

和泉雅子の高価買取レコード

タイトル参考買取価格
燃える真珠(EP:TP-2046)10,000円
恋のめまい(EP:TP-2294)10,000円
小さな恋の物語(EP:TP-2144)1,000円

※買取価格は状態、付属品の有無によって大きく変わります。
また相場状況でも変動がございますので、ご参考程度にお考えください。

和泉雅子のトピックス

①日活三人娘

日活映画の全盛期を支えた日活三人娘。
当時は三人とも絶大な人気を誇っており、和泉雅子は雑誌「近代映画」の「オールスター投票・女優部門」で、1964年から1968年まで5年連続でベスト10入りを果たしています。
特に1966年と1967年には、吉永小百合に次いで2年連続で第2位にランクイン。
ちなみに吉永小百合のファンのことを「サユリスト」呼び、川端康成、遠藤周作、野坂昭如、タモリなど多くの著名人がファンを自認しています。
三人とも70歳を過ぎていますが、現在でも精力的に活動をしています。

②冒険家としての活躍

女優や歌手として活躍していた和泉雅子ですが、幼少期から南極越冬隊に憧れており、1983年にドキュメンタリー番組のレポーターとして南極に行ったことがきっかけで、北極点への挑戦を思い立ちます。
1985年、北極点到達を目指し、5人の隊員とともに出発します。
しかしその62日後、氷の割れ目の拡大に前進を阻まれ、断念。
この冒険で1億円以上の負債を抱えますが、それを完済して、1989年に再度挑戦。
海氷上からでは、日本人女性として初めて北極点到達に成功しました。
それ以降も、グリーンランドなどの北極地方に足を運び、登山にも熱中します。
極地や登山に耐えられる体力をつけるために脂肪を増やし、極地の強い紫外線の影響で顔にシミができており、以前の容姿との落差がバラエティ番組でも話題になりました。
しかし、これに対して「昔はキレイだったとよく言われる」と、本人は明るく語っています。

まとめ

今回は和泉雅子の経歴とレコードの買取相場について解説してきましたが、いかがでしたか?
女優や歌手としての才能もあり、そこに冒険家としてのメンタルの強さもある…。
容姿がどうとか関係なく、自分のやりたいことを徹底的にやるその姿、めちゃめちゃカッコいいと思いました。

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