60年代に三人娘(中尾ミエ・園まり・伊東ゆかり)と並んで活躍した青山ミチ。
パワフルかつパンチのある歌声で、「ミッチー」の愛称で親しまれました。
今回は、青山ミチの経歴と、レコードの買取相場について解説していきます。

青山ミチの経歴

父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフで、12歳の時にジャズ喫茶が主催する素人ジャズコンクールで入賞したのをきっかけに、ポリドール・レコード(現:ユニバーサルミュージック)の目にとまります。

翌年の1962年に「ひとりぼっちで想うこと」でレコードデビューしました。

1963年に発表した「ミッチー音頭」や、1965年に発表したエミー・ジャクソンとの競作「涙の太陽」が大ヒット。

そのパンチの効いた歌声は、元祖和製R&Bシンガーとも言われています。

レコード買取相場

タイトル参考買取価格
ABCからZまで/スポーツカーでぶっとばせ(EP:DJ-1394)1,000円
世界の恋は君のもの/LOVE(EP:SDR-1073)1,000円
ムズムズ/まかり出ました女の子(EP:SDR-1065)5,000円
風吹く丘で/銀のイニシアル(EP:SDR-1234)5,000円
歌えミッチー(LP:LPJM-6)5,000円

※買取価格は状態、付属品の有無によって大きく変わります。
また相場状況でも変動がございますので、ご参考程度にお考えください。

青山ミチのトピックス

①覚せい剤や窃盗で逮捕

「風吹く丘で」の発表を控えていた1966年に覚せい剤で逮捕され、レコードはお蔵入りとなります。
この曲は後に「亜麻色の髪の乙女」に改題され、ヴィレッジ・シンガーズの歌唱で大ヒットとなりました。

日本クラウンに移籍して活動を再開するも、1974年に万引きで現行犯逮捕され、1978年には再び覚せい剤で逮捕され、芸能界から追放状態となります。

その後、1999年にも3度目の覚せい剤による逮捕で、実刑判決を受け、表舞台からは完全に姿を消しました。

②壮絶な私生活

長らく消息不明でしたが、テレビ番組「あの人は今!?」の調査で、娘と2人で生活保護を受けながら暮らしていることが判明します。
2009年にはアメリカにいる異父姉がミチを捜し続けて、情報提供を呼びかけていました。
2017年、急性肺炎で死去。67歳でした。

まとめ

今回は、青山ミチの経歴と、レコードの買取相場について解説してきましたが、いかがでしたか?

そのパワフルな歌声の裏には、薬物に依存してしまうほどの苦しみがあったのかなぁと、勝手に想像して心が傷みました…。

さて、TU-Fieldでは聴かなくなったレコードの買取をおこなっています。
ダウンロードやCDでは手に入らない、廃盤になった作品がレコードには多くあります。
素晴らしい音楽や芸術を、次の世代に引き継ぐためにも【処分】ではなく、
【買取】を選んでいただけたら嬉しいです。

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