中尾ミエ、伊東ゆかりと共に「スパーク3人娘」として活躍した園まり。
1966年に発表した「逢いたくて逢いたくて」は空前の大ヒットとなり、自身が主演を務める同名タイトルの映画も公開されました。
キュートなルックスでも人々を魅了し、1966年~1967年のマルベル堂のブロマイド売り上げ女性歌手部門では第1位を記録しています。
今回は園まりの経歴を解説するとともに、レコードの買取相場をご紹介します。

園まりの経歴

1956年に本名薗部毬子名義で童謡歌手としてデビュー。
元々はクラシック歌手を目指していましたが、1960年「あなたをスターに」で優勝し、翌年渡辺プロダクションに入社します。
1962年に「鍛冶屋のルンバ」でレコードデビューし、洋楽の日本語カバー曲である「マッシュ・ポテト・タイム」「太陽はひとりぼっち」「女王蜂」「花はどこへ行った」がヒット。
1964年「何も云わないで」が歌謡曲での初ヒットとなり、続く「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「何んでもないわ」「愛は惜しみなく」などもヒットを記録します。
艶やかで色気のある歌声に、世の男性は虜となり、その歌声は76歳の今でも健在です。

園まりのレコードの買取相場

タイトル参考買取価格
マッシュ・ポテト・タイム/恋の白夜(EP:DJ-1248)1,000円
まりちゃんの夢のアルバム(LP:LPJM-8)1,000円
プリンセスではないけれど/涙のバースディ・パーティ(EP:DJ-1393)2,000円
恋する悲しさ/私のハートに賭けないで(EP:DJ-1235)10,000円
鍛冶屋のルンバ/ベルリンの街角で(EP:DJ-1232)10,000円

※買取価格は状態、付属品の有無によって大きく変わります。
また相場状況でも変動がございますので、ご参考程度にお考えください。

おまけ:黄金期の渡辺プロダクション

1950年当時、まだ差別や偏見の目で見られることもあった芸能人の待遇改善と、地位向上を目的として、ジャズミュージシャンだった渡辺晋が、妻らと共に芸能事務所の位置づけを変革したことが始まりです。

芸能事務所の仕事を組織化し、あらゆる分野に精通した人脈や知識を蓄えた人材の育成を目指しました。
映画やテレビ番組を自社制作し、所属タレントを出演させて、番組制作費や興行収入を得る仕組みを導入。
傘下に音楽出版会社(渡辺音楽出版)を設立し、レコードの原盤権を保有するなど、現代の芸能ビジネスのスタイルを作りました。

俳優、歌手、コメディアンなど分業だったタレントの在り方についても、「新春かくし芸大会」で歌手や俳優を出演させ、マルチタレントの先駆けとなりました。

園まりが所属していた当時、渡辺プロダクションは黄金期で、「ナベプロなくしては歌番組やバラエティ番組は作れない」と言われるほどの独占状態でした。

当時の所属タレントは
・ミッキー・カーチス
・ハナ肇とクレージー・キャッツ
・浜村淳
・ザ・ピーナッツ
・ザ・ドリフターズ
など錚々たる面々が名を連ね、現在でも国内有数の規模を誇る芸能事務所です。

まとめ

今回は園まりの経歴を解説するとともに、レコードの買取相場をご紹介しましたが、いかがでしたか?
76歳になっても変わらないその歌声を、実際に聴いてみたいなぁと感じました。

さて、TU-Fieldでは聴かなくなったレコードの買取をおこなっています。
ダウンロードやCDでは手に入らない、廃盤になった作品がレコードには多くあります。
素晴らしい音楽や芸術を、次の世代に引き継ぐためにも【処分】ではなく、
【買取】を選んでいただけたら嬉しいです。

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