圧倒的なカリスマ性を誇るジム・モリソンがボーカルを務めるドアーズ。
60年代後半に台頭したヒッピー・ムーブメントや、ブリティッシュ・インヴェイジョンなどには影響されず、もはや別世界の住人とも言えます。
その無双の存在は、多くのアーティストに影響を与え続けています。
今回は、ドアーズの軌跡を辿りながら、レコードの買取相場をご紹介します。

ドアーズのフロントマン、ジム・モリソンとは

幼少期から読書家のモリソンは、哲学者や詩人などから影響を受けており、
その幻想的で過激な詩はもちろんのこと、そこに神秘的なサウンドが加わり、
ドアーズを確立していきました。

モリソンは「ロックスター」であることに極めて自覚的で、ステージではセクシャルに立ち振る舞い、雑誌などのインタビューでは、メディアが飛びつきそうなキャッチーで過激な語句を使用するなど、マスメディアによるグループのイメージ構築を、意図的に、試験的に行っていました。

しかし人気がでるにつれ、次第に薬物やお酒に溺れていき、元から制御のきかなかったモリソンは諸々のトラブルを起こすことになります。

レコードの買取相場

ジム・モリソンが在籍した頃のドアーズは6枚のオリジナル・アルバムと1枚のライブアルバムしか残していません。ちなみにファースト・アルバムが1967年、6枚目のアルバムが1971年なので、その活動の密度はすさまじいものでした。
ピックアップしたものはすべて国内盤、「ゴールデン・ドアーズ」を除いてオリジナルアルバムの初期の国内盤です。細かい話をすると、「ハートに火をつけて」の国内初回盤レコードはUSオリジナルとは曲順が異なります。US盤ではA面最後に収められたヒット曲「ハートに火をつけて」がA面1曲目になっています。より売れ線の曲を前に持ってくるという、アーティストの意向をまったく無視したようなやり方ですが、それがゆえに希少になっているのです。世の中わからないものです。

タイトル参考買取価格
ゴールデン・ドアーズ(LP:SWG-7124)1,000円
日の出を待って(LP:SJET-8075)3,000円
モリソン・ホテル(LP:SJET-8218)5,000円
ストレンジ・デイズ(LP:SJET-8017)20,000円
ハートに火をつけて(LP:SJET-7980)20,000円

※買取価格は状態、付属品の有無によって大きく変わります。
また相場状況でも変動がございますので、ご参考程度にお考えください。

ドアーズの歴史

①デビューのきっかけ

UCLA映画科で学んでいたモリソンとレイ・マンザレク(キーボード)が出会い、モリソンの自作の詩と歌を聴いたマンザレクが、その才能に惚れこみバンドを結成。
ロサンゼルスのロンドン・フォッグや、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーなどでライブ活動を行い、注目を集めていきます。

プロデューサーのポール・A・ロスチャイルドに見い出され、1966年にエレクトラ・レコードと契約。

翌年、デビューアルバム「ハートに火をつけて」を発表し、センセーションを引き起こします。
2枚目のシングル「ハートに火をつけて」は大ヒットし、ビルボード誌では週間ランキング第1位を獲得し、1967年の年間ランキングでは第2位となりました。

②全盛期

2枚目のアルバム「まぼろしの世界」もデビューアルバム同様、強力な作品でドアーズの評判は強固なものとなっていきました。
3枚目のアルバム「太陽を待ちながら」は、ドアーズ最初のNo.1アルバムであり、収録されているシングル「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」も、アメリカでのNo.1シングルとなりました。

しかし、ドアーズのライブステージは挑戦的で反抗的という評判も広がっていきます。

1967年に出演した「エド・サリヴァン・ショー」では、「ハートに火をつけて」の一部の歌詞がドラッグを想起させるとして、変えて歌うように番組側は要求。
しかし、モリソンはオリジナルの歌詞を歌い、生放送番組なのでそのまま放送されました。番組側は激怒し、その後番組に招かれることはなくなったそうです。

また、1969年のマイアミでのコンサートで、モリソンは逮捕されてしまいました。
「性器を露出した」というのがその理由ですが、他のメンバーは一貫してそれを否定しています。
とはいえ、もとから若者への影響力の大きさなどから目を付けられていたためか、有罪判決となりました。

このスキャンダルにより、ドアーズそのものが反社会的と非難され、ライブ活動は縮小していきます。
1970年のニューオーリンズでのステージを最後に、モリソンは活動を停止。
1971年にアルバム「L.Aウーマン」を録音後、著作に専念するためパリへ移住しました。

③モリソンの死とその後

同年、パリの自宅のバスタブで亡くなっているのが発見されました。27歳の若さでした。
死因は心臓発作と発表されましたが、当時交際していたパメラ・カーソンの証言から、薬物の過剰摂取が死の原因ではないかと言われています。

その後、ドアーズのメンバーであるクリーガーとマンザレクがボーカルを務め、2枚のアルバムを発表しましたが、商業的に失敗し、モリソン抜きでは成立しないことを証明することとなりました。

1972年に正式に解散し、1978年にはモリソンが生前に遺した詩の朗読に音楽をつけた「アメリカン・プレイヤー」を発表。

1990年代に入るとモリソンの伝記的映画「ドアーズ」が公開されたり、ロックの殿堂入りを果たします。

2000年代には、マンザレクとクリーガーが「21世紀のドアーズ The Doors 21st Century」として活動を始めますが、メンバー内でバンド名使用禁止の訴訟などの問題が起こりました。

2013年、最年長メンバーであり、ドアーズ・サウンドのキーマンだったレイ・マンザレクが死去。

モリソン在籍時から考えると50年ほども昔に活動が終わったバンドですが、今でも過去のライブ音源が発掘され発売されるほどの影響力を誇っています。

まとめ

今回は、ドアーズの軌跡を辿りながら、レコードの買取相場をご紹介してきましたが、いかがでしたか?
当時のブームを横目に、独自のスタイルを追求し確立したその様には、ただただ憧れます。

さて、TU-Fieldでは聴かなくなったレコードの買取をおこなっています。
ダウンロードやCDでは手に入らない、廃盤になった作品がレコードには多くあります。
素晴らしい音楽や芸術を、次の世代に引き継ぐためにも【処分】ではなく、
【買取】を選んでいただけたら嬉しいです。

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