皆さんは、「ナイアガラ・レーベル」をご存知でしょうか?レコードマニアの方であれば、もう既によく知っているという方も多いかと思いますが、まだよく知らないという方もいらっしゃるのではないでしょうか。また、ナイアガラ・レーベルのレコードを持っているけれど、一体どこに売れば良いのか分からないという方も、多いはずです。どうせレコ―ドを売るのであれば、高い金額で売りたいと考えることは、とても自然なことです。まず最初に最もお勧めのレコード専門買取店をお話してしまうと、やはり「TU-Field」になるわけですが、今回は、ナイアガラ・レーベルの歴史から、何故TU-Fieldが最もお勧めできるレコードショップであるのか?ということに関して、丁寧に解説をしていきます。
ナイアガラ・レーベルとは?
ナイアガラ・レーベルとは、大瀧詠一が設立し、事業運営を行っていたレコードレーベルです。何故、大瀧詠一がこのレコードレーベルを立ち上げることになったのか?という経緯については、大瀧詠一が、ファーストソロ・アルバムである「大瀧詠一」のマネジメントにおいて、ベルウッド・レコードに疑念を持ったことから始まっています。ベルウッド・レコードでは、マスターテープ以外のレコード制作におけるプロセスで、マルチテープの音源が全て処分となり、未発表音源である原盤の大多数が無くなってしまったという出来事がありました。大瀧詠一は、今後自身の制作する原盤の全てを自主管理することを決め、「ザ・ナイアガラ・エンタープライズ」という企業を設立します(1974年)。これに現・フジパシフィックミュージックも出資を行い、制作費をPMPが捻出する代わりとして、出版権を得ることとなりました。
この「大瀧詠一」という原盤ですが、マスターテープの他ベルウッド・レコードには残されていません。ボーナストラックとして収録された音源は、大瀧詠一個人で所有していたものになります。ベルウッド・レコードよりリリースされた作品には、シングル「DOWN TOWN(シュガー・ベイブ)、そしてアルバム「SONG」があります(1975年4月)。大瀧詠一がナイアガラ・レーベルよりリリースをしたのは、その翌月の「NIAGARA MOON」というアルバムになりました。ナイアガラ・レーベルは、現在は大瀧詠一の親族が引き継ぎを行い、生前作の原盤マネジメントを行っています。
ナイアガラという名はどこから?
レーベル名に「ナイアガラ」というワードが入っているナイアガラ・レーベルですが、この名前の由来として、大瀧詠一がリスペクトしていた「フィル・スペクター」というレコードレーベルから、大きな影響を受けています。フィル・スペクターというレーベル名が、フィレスという自身の名を文字って付けられたものであったので、それを模倣したレーベル名となっています。「大瀧」という苗字は、「大きい滝」を連想することが出来、世界的に大きな滝の代表として「ナイアガラの滝」が挙げられます。このナイアガラにちなみ、名付けられたレーベル名が、まさに「ナイアガラ・レーベル」でした。また、レコード盤のレーベル面には、「Fussa Tokyo Niagara Recoards」という表記がなされているのも特徴です。
サブレーベルの存在
「Yoo-Loo」と「Keg-on」の2つのレーベルは、大瀧詠一のサブレーベルとされています。Yoo-Looは「養老の滝」から、Keg-onは「華厳の滝」からのインスピレーションを受けて名付けられたのでは?と言われています。大瀧詠一は、レーベル設立当時にナイアガラ・レーベルの名前の由来を頻繁に聞かれた際、先述の理由を告げた後に、「華厳でも養老でも良かったんですけどね。」との話をしていたと、インタビューで伝えています。
年表
◇1975年・・・CMソングを目標とし、レコード企業に営業をかけていた頃、エレックレコードに所属していた後藤由多加の目に留まり、エレックレコードと契約が決まり、プライべート・レーベルである「ナイアガラ・レコード」を設立する。また、自らの原盤権を自社管理とし、「ナイアガラ・エンタープライズ」を設立。同社に初の所属となったシュガー・ベイブだが、その直後にエレックレコードは倒産。
リリースシングル「DOWN TOWN(シュガー・ベイブ)」
リリースアルバム「NIAGARA MOON(大瀧詠一)」、「SONGS(シュガー・ベイブ)」
◇1976年・・・日本コロムビアに移籍。大瀧詠一の作品は、作品数に比例せず売り上げが好調ではなかった為、その後企業は休業状態となり(CBSソニー移籍まで)、運営はPMPに委託をした。
リリースアルバム「GO! GO! NIAGARA(大瀧詠一)」、「NIAGARA TRIANGLE Vol.1(大瀧詠一・山下達郎・伊藤銀次)」
◇1977年・・・リリースアルバム「NIAGARA CM SPECIAL Vol.1(大瀧詠一コンピレーション・アルバム)」、「多羅尾伴内楽團 Vol.1(インストルメンタル)」、「NIAGARA CALENDAR(大瀧詠一)」
◇1978年・・・リリースアルバム「多羅尾伴内楽團 Vol.2(インストルメンタル)」、「LET’S ONDO AGAIN(大瀧詠一プロデュース)」
ベストアルバム「DEBUT(大瀧詠一)」
◇1979年・・・「LET’S ONDO AGAIN」の制作で、コロムビアとの契約を終了。
◇1980年・・・リリースアルバム「TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA(山下達郎コンピレーション・アルバム)」
◇1980年代・・・「風立ちぬ(松田聖子)」や「A LONG VACATION(大瀧詠一)」の大ヒットから、名が知られるようになり、まさに大瀧詠一としては黄金期であった。
◇1981年・・・CBS・ソニーレコード(現ソニー・ミュージックレコーズ)に移籍。コロムビア時代に制作をした6作品をCBSより再びリリースをする。
リリースアルバム「NIAGARA FALL STARS(ナイアガラ・フォーリン・スターズ名義)」、「Sing A LONG VACATION(大瀧詠一)」
◇1982年・・・リリースアルバム「NIAGARA TRIANGLE Vol.2(大瀧詠一・佐野元春・杉真理)」、「NIAGARA SONG BOOK(NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL名義)」、「NIAGARA CM SPECIAL Vol.2(大瀧詠一)」
◇1983年・・・リリース映像作品「NIAGARA SONG BOOK(映像版・後にDVDとして再リリース)」
◇1984年・・・リリースアルバム「EACH TIME(大瀧詠一)」、「NIAGARA BLACK VOX」、「NIAGARA SONG BOOK2」
◇1985年・・・リリースアルバム「B-EACH TIMEL-ONG(大滝詠一)」、「SNOW TIME(大滝詠一・非売品)」
◇1986年・・・大瀧詠一名義でのすべてのアナログ・シングルを廃盤にしたことにより、大瀧は長期休業となる。
◇1987年・・・リリースCD-BOXセット「NIAGARA BLACK BOOK」
◇1990年代・・・過去作のリマスターを実施し、1990年代中頃よりプロデューサー業を一時的に再開。
リリースシングル「幸せな結末(大瀧詠一)」
◇1991年・・・リイシューリリース「CD選書」
◇1994年・・・大瀧詠一が「ダブル・オーレコード」の取締役となる。このレコード会社では「Yoo-Loo(サブレーベル)」を使用する。
シングルリリース「パレード(山下達郎)」
リイシューリリース「SONGS(シュガー・ベイブ)」
◇1995年・・・リイシューリリース「CD選書」
◇1996年・・・アルバムリリース「Ring-a-Bell(渡辺満里奈)」
CDリリース「SNOW TIME(大瀧詠一コンピレーション・アルバム)」
◇1997年・・・「ダブル・オーレコード」が解散する。大瀧のリリースした「幸せな結末」はミリオン・ヒットとなる。
シングルリリース「幸せな結末(大瀧詠一)」
◇2000年代・・・ナイアガラ30周年事業とし、リマスター盤を再びリリース(1970年代~1980年代作品)。2013年12月30日の大瀧の死後は、親族により原盤マネジメントを行っており、現在までレーベル活動を続けている。
◇2001年・・・1980年代カタログをリマスタースタート「20th Anniversary Edition」
◇2002年・・・トリビュート・アルバム「ナイアガラで恋をして(大瀧詠一)」
◇2003年・・・大瀧史上ラストとなったシングル「恋するふたり(大瀧詠一)」リリース
◇2005年・・・1970年代カタログをリマスタースタート「30th Anniversary Edition」
◇2009年・・・ナイアガラ・レーベルから公式リリース「TATSURO FROM NIAGARA(山下達郎)」
◇2011年・・・1980年代カタログのリマスタースタート「30th Edition」
◇2013年・・・12月30日の17時30分頃、大瀧詠一が自宅で倒れる(東京都多摩群瑞穂町)。その後病院に搬送されるが、19時頃解離性動脈瘤で他界。65歳であった。
◇2014年・・・「大瀧詠一のジュークボックス」は、ワーナーミュージック編、エルヴィス・プレスリー編、ユニバーサルミュージック編の3タイトルで同時リリースされた。ロゴはいずれも「Niagara Records」とされている。
オールタイム・ベストリリース「Best Always[大瀧詠一)」
コンピレーション・アルバムリリース「大瀧詠一のジュークボックス」
◇2016年・・・アルバムリリース「DEBUT AGAIN(大瀧詠一)」
◇2018年・・・コンピレーション・アルバムリリース「EIICHI OHTAKI Song Book Ⅲ 大瀧詠一作品集Vol.3[夢で逢えたら]」
◇2019年・・・ライブアルバムリリース「NIAGARA CONCERT ’83」
ナイアガラ・レーベル高価買取可能レコード
ここで、高額買取を実現できるナイアガラ・レーベルの代表的なレコードをご紹介します。レコードの高価買取をご希望の際には、ぜひご参考になさってみてください。大瀧詠一のレコードも含め、高額買取の可能なレコードは、主に以下となります。
◇恋の汽車ポッポ(大瀧詠一)
◇SONGS(シュガー・ベイブ)
◇NIAGARA MOON(大瀧詠一)
◇NIAGARA TRIANGLE Vol.1(大瀧詠一・山下達郎・伊藤銀次)
◇夢で逢えたら(シリア・ポール)
◇NIAGARA CONCERT ’83(大瀧詠一)
レコードの高価買取は、ぜひTU-Fieldへお問い合わせください
上記ではナイアガラ・レーベルの高価買取ができるレコードをご紹介しましたが、ナイアガラ・レコードに限らず、さまざまなレコードの買い取りに対応しているレコード買取専門店があります。それは、「TU-Field」です。TU-Fieldは、大阪の旭区中宮に位置し、数ある大阪のレコードショップの中で、特に注目の買取専門店となっています。でも何故、この店舗で買い取りを行うべきなのか?ということについては、TU-Fieldが多くのレコードマニアに愛され続ける「10の理由」があるからなんです。その10の理由とは、一体何でしょうか。以下に、その10の理由をまとめています。
◇1.オーナー自らが査定を行う
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◇2.訳ありレコードも買取を実施
カット盤やサンプル盤、レンタル落ち等の訳ありレコードであっても、買い取りを行います。この他、傷のある商品であっても、希少価値を見極めた上で、買い取りを実施します。
◇3.レコードの無料引き受けが可能
値の付けられない商品やオーディオ機器も、無料で回収致します。
◇4.ヒアリングが丁寧
買取前の心配事を無くすため、遠方にお住まいの方であっても、メールやお電話での無料相談を実施しております。
◇5.リアルタイムでの査定額を実現
マニュアルだけに頼ることなく、レコード1点1点の希少価値を見極め、リアルタイムで査定を行います。
◇6.バリエーション豊富な買取実績
買取実績の側面から見ても、TU-Fieldは豊富に実績がございます。引っ越しや遺品整理等、不要になったレコードを売る際にも弊社の利用が最適です。
◇7.オールジャンルに買取可能
邦楽や洋楽、イージーリスニングまで、全てのジャンルの商品の買い取りに対応しています。レコードの他には、CDやDVD、楽器やオーディオ機器、音楽書籍など、音楽に関連する商品の高価買取を実施しています。
◇8.即日出張
大阪府内の場合、最短でご依頼日の当日に出張を行うことが可能です。例えば、朝に依頼を行い、午前中にお伺いすることもできます。
◇9.高価買取
相場はリアルタイムに査定を行いますので、その瞬間の最高額での買い取りを致します。実店舗での運営に掛かるコストは、全て買取費用に還元し、インターネット通信販売をメインとし、保管費用を最小限に留めているのも特徴です。
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出張費や宅配の際の送料は、全て弊社の負担となります。宅配買取をご希望の方には、段ボール・着払伝票・申込書の3点をセットしたキットを準備します(無料)。この他、仮査定も致しております(無料)。
まとめ
今回は、ナイアガラ・レーベルの歴史から、高価買取可能なレコード、そして「TU-Field」に関するご紹介を行ってきましたが、如何でしたでしょうか?この記事では、高価買取をご希望の際には、TU-Fieldに依頼を行うことで、高価買取の実現が可能であるということが、よくお分かりいただけたのではないでしょうか。TU-Fieldに依頼をすると、他のどのレコードショップよりも親切・丁寧で、スピーディーな査定を行うことができます。不要なレコードの売却をご検討中の方は、ぜひ一度TU-Fieldまで、お気軽にご相談ください。
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