1970年代を代表するロックバンド、レッド・ツェッペリン。
その影響力はビートルズに匹敵するとも言われ、ハードロックやヘヴィメタルの祖と称されています。
得意な楽曲はハードなものに留まらず、ブルースやフォーク、ファンク、レゲエ、インドや中近東系の音楽などに影響を受けた楽曲を幅広く展開しており、後進のミュージシャンたちに多大な影響を与えました。
今回は、レッド・ツェッペリンの歴史と、レコードの買取相場について解説していきます。

レッド・ツェッペリンのメンバー紹介

・ロバート・プラント(ヴォーカル)

ハイトーン唱法の第一人者で、比類なき声量と音域幅も非常に広く、その歌声は圧倒的です。
そのルックスや声、ステージパフォーマンスから70年代を代表するセックスシンボルと称され、波打つ黄金の髪にライトを浴びてシャウトするその姿は神々しくもあり、ロックの美神とも呼ばれていました。
今後、ロバート・プラントほどのヴォーカリストは二度と現れないだろうと言われています。

・ジミー・ペイジ(ギター)

レッド・ツェッペリンのリーダー兼プロデューサーの役割も果たしていました。
エリック・クラプトン、ジェフ・ベックと共に三大ギタリストと呼ばれ、技術の高さやギタープレイの幅の広さは群を抜いています。
サウンド追及への情熱が素晴らしく、例えばテルミンを使ったパフォーマンスやヴァイオリンの弓で弾くボウイング奏法、ボトルネックを使用したスライド・ギターなど、使用楽器や特殊奏法の多さでも知られています。

・ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース/キーボード)

ベースとキーボード以外にも、ギター、チェロ、琴、フルートなど多様な楽器を操ることができるマルチプレイヤーで、ベーシスト、キーボード奏者として特に高い評価を受けています。
ベースでは多彩なプレイスタイルが魅力のひとつで、指弾き、ピック弾きを曲調に合わせて自由に使いこなせる能力は、レッド・ツェッペリンにとって欠かせないものでした。

・ジョン・ボーナム(ドラムス)

愛称は「ボンゾ」。驚異的なグルーヴとパワフルなドラミングで、世界中のロックファンから絶大な支持を得ている伝説のドラマーです。
米ローリングストーン誌が選ぶ「最も偉大な100人のドラマー」で1位になるほどで、ドラム界の神と言っても過言ではない存在です。
現在のハードロックドラミングの礎を築いたとも称されており、繊細かつ高度なテクニックは、後進のミュージシャンに大きな影響を与えています。

レッド・ツェッペリンの歴史

デビュー~1970年までの活動

1968年に結成し、1969年にアルバム「レッド・ツェッペリンⅠ」を発表、全英6位・全米10位の大ヒットを記録します。
同年にアルバム「レッド・ツェッペリンⅡ」を発表し、英米ともに7週連続で1位の快挙を達成。
1970年発表のアルバム「レッド・ツェッペリンⅢ」ではハードロックのイメージに停滞することなくアコースティック・サウンドを追求したため、賛否両論ありましたが、全米売り上げ650万枚と、デビューからあっという間にスターへと上り詰めます。
また、レコード会社やプロモーターに対し、アーティストが言いなりとなってしまうのが当たり前の時代に、レコード会社には完全なる創作活動の自由を求め、プロモーターに対してはアーティスト主導の興行を求めるなど、自身の要求を貫き通しました。

1970年~解散までの活動

1971年には最高傑作と名高い「レッド・ツェッペリンⅣ」を発表し、アメリカだけで2300万枚以上を売り上げ、アルバムセールス歴代6位を記録しました。
同年には初来日も果たしており、日本武道館、広島県立体育館、大阪フェスティバルホールとライブをおこないました。
広島での公演はメンバーの希望で実現し、収益の全額を原爆被災者の救済基金に寄付したそうです。
しかし、1973年にロバート・プラントが喉に支障をきたし、今までの歌い方が不可能となり手術をおこないます。
1975年ごろには喉の調子が戻り、ワールドツアーをおこないますが、ロバート・プラントが事故に遭い、両脚を折る重体となり、ツアーは中断。
1977年にはロバート・プラントの長男がウイルス性感染症で亡くなり、またもやツアーが中断し、活動は無期限休止となりました。
1979年に活動を再開し、1980年にツアーをまわり始めましたが、ドラマーのジョン・ボーナムが過度な飲酒により死去。32歳の若さでした。
同年、ジョン・ボーナムなしでのバンド継続は無理だと判断し、解散を表明します。

解散後についての活動

解散後、何度か再結成をしてライブをおこなっており、その時のドラムを担当するのは、ジョン・ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムが担当しています。
しかし、ロバート・プラントは「ジョン・ボーナムこそがレッド・ツェッペリンのドラマーだ」として再結成の続行はしていません。
レッド・ツェッペリンが発表したアルバムは、全てが巨大なセールスを記録し、現在の累計売り上げ枚数は約3億枚に達しています。
コンサートの観客動員数についても、一度のUSツアーで130万人以上を集めるという史上空前規模の興行を行っており、1973年から解散まで世界記録を更新し続けていました。
デビューから解散までトップスターの座を走り続け、人々を魅了したレッド・ツェッペリンは、今もなお世界中にファンが多く存在します。

レッド・ツェッペリンのレコード買取相場

特に高額なレコードを5つ選びました。LPアルバムが4枚、EPシングルが1枚ですが、LPのほうは特に帯に価値が認められているようです。某オークションサイトでは、帯だけが帯付きLPと遜色ない金額で落札されたこともあります。
ということで、レッド・ツェッペリンのレコードは付属品の有無で金額がぐっと変わります。あくまで目安ですが、ご参考ください。

タイトル参考買取価格
移民の歌(DT-1180)ステージジャケ300,000円
レッド・ツェッペリン登場(黒青帯:SMT-1067)100,000円
レッド・ツェッペリンII (P-8042A:Rock Age帯)50,000円
レッド・ツェッペリンII(MT 1091:黒色帯)5,000円~8,000円
レッド・ツェッペリンIII(P-8005A:Rock Age帯)100,000円

まとめ

今回はレッド・ツェッペリンの歴史と買取相場について解説してきましたが、いかがでしたでしょうか?
できることならリアルタイムで、ボンゾのドラムを見たかったものです。
レッド・ツェッペリンのレコードをお持ちの方はぜひご相談ください。