「アジアの歌姫」として今なお語り継がれているテレサ・テン。
歌謡曲特有の憂いに加えて、心に染み入るような哀愁ある歌声に誰もが魅了されました。
詞をとても大切にするテレサ・テンは、歌詞を深く理解したうえで語りかけるように歌う「語り歌」と呼ばれるスタイルに加え、7カ国語を使いこなすこともできたので、国境を超えて音楽活動をおこない、世界進出をしています。
現在でも世界中にファンが多く、レコードを収集する方も少なくありません。
今回は、テレサ・テンの人生を振り返りながら、レコードの買取相場も解説していきたいと思います。

テレサ・テンのレコード買取相場

まず気になるのがお値段ですよね。
テレサ・テンのレコードの相場を考えるうえでのポイントは「LPかEPか」ということと、「中国語か日本語か」ということです。
まずLPとEPでいえばLPのほうが高額になりやすいです。そしてLPのなかでも、中国語盤のレコードが高額で取引されています。このあたりは、彼女の経歴を考えると複雑な事情がありそうですね。
LP「酒醉的探戈」(28TR-2134)など、50,000円近い買取が期待できるタイトルもあります。ただし、帯がないだけで価格相場が大幅に下がるタイトルもあるので要注意です。
EPに関しても、やはり中国語盤のほうが高額になります。LPほどの高騰には至っていませんが、「情人的關」の中国語盤シングル(7DX1444)は数千円での買取が期待できるレコードです。

テレサ・テンの足跡

デビュー~1970年代

10歳の時にはラジオ局主催の歌唱コンテストで優勝し、天才少女として注目を集め、14歳の時にプロ歌手としてデビューします。
その後、シンガポールやタイ、マレーシアでも人気となり、18歳の時に香港でもレコードを発表し、瞬く間にアジアのトップスターの仲間入りを果たします。
1974年、テレサ・テンが21歳の時に日本で鳴り物入りでデビューしますが、アイドル歌謡曲路線だったためか売れ行きは思わしくなく不発に終わりました。
そこから演歌歌謡曲路線に転向し、2作目の「空港」が大ヒットし、第16回日本レコード大賞新人賞を獲得。
日本でもトップスターとなり、アジア各地を行き来する多忙な日々を送ります。
1979年、本来の中華民国のパスポートではなくインドネシアのパスポートで来日しようとしたため、旅券法違法で国外退去処分を受けます。
1972年の日中国交正常化の影響で、台湾のパスポートでは入国の際に非常にややこしい手続きが必要だったため、当時の台湾の著名人はインドネシアのパスポートを所有していたそうです。
偽造ではなく正式なパスポートでしたが、テレサ・テンは1年の国外退去処分となりました。
この事件で日本や台湾から非難の声が上がり、台湾から身柄の引き渡しを強く要求されましたが、従えば数年間は歌手活動ができなくなると考え、アメリカへと渡ります。
1年後、台湾政府への協力を条件に帰国を許されたテレサ・テンは、中華民国国軍の広告塔として活動し、歌手活動も再開していきました。

1980年~死去までの活動

1980年代初めには中華人民共和国でも、コピーされたテレサ・テンのカセットテープが出回るようになり、人々を魅了していきました。
1983年には香港でツアーをおこない、10万人を動員。
その影響力に危機感をもった中国共産党政府は、テレサ・テンの歌を放送禁止にしました。
1984年には日本の音楽ファンの強い要望もはたらき、再来日が許可され、「つぐない」で日本再デビューを果たします。
「つぐない」は有線放送を通じて大ヒットし、1985年に発表した「愛人」も有線放送リクエストチャートで14週連続1位となりました。
紅白初出場を果たし、1986年には「時の流れに身をまかせ」を発表します。
この作品も大ヒットとなり、紅白に2年連続出場となりました。
「つぐない」と「愛人」は日本での売り上げ150万枚、「時の流れに身をまかせ」は200万枚という大ヒットを記録します。
1984年から1986年にかけ「日本有線大賞」と「全日本有線放送大賞」の東西有線大賞で、史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞し、1986年には米タイム誌によって世界7大女性歌手の1人に選ばれました。
1987年に住居を香港に移し、日本以外での歌手活動を休止。
1989年には中華人民共和国内で起きていた民主化要求デモを支援する目的でおこなわれたコンサートに参加し、約30万人の前で歌いましたが、天安門事件が起こってしまいます。
その影響で、翌年に予定されていた中国本土での初コンサートも中止となりました。
同年、失意の中アジアを離れ、パリに移り住みますが、中国への思いはさらに深まり、1992年に「夜来香」を新たにレコーディングします。
しかし、この頃から喘息が悪化し、表舞台から距離を置き、日本を訪れることも少なくなりました。
1995年に静養のために訪れていたタイのホテルで、気管支喘息の発作により死去。
42歳の若さでした。

死去のあと

テレサ・テンの遺体を台湾へと搬送する際に、空港には200人を超える報道陣がおしよせ、葬儀をおこなうための台湾政府葬儀委員会が発足。
中華テレビ局内に設置された霊堂に安置され、その日だけで2000人を超える人が足を運びました。
そして国葬が執り行われ、世界各国から3万人ものファンがつめかけるという、台湾での英雄ぶりが伺える葬儀となりました。
墓所は小さな公園のように整備され、銅像が建ち、歌声が絶えず流れています。
あまりにも偉大すぎるので、蒋介石や蒋経国と同じように火葬はされず、エンバーミングなどを施され土葬されているそうです。

まとめ

テレサ・テンの人生を振り返りながら、レコードの買取相場も解説してまいりましたが、いかがでしたでしょうか?
当時の社会情勢に翻弄されながらも、その歌声で世界中の人々を魅了したテレサ・テン…。
今年は25周忌ですが、もし生きていれば67歳…より深みのある歌声を披露していたのかなぁと感慨深いです。
さて、TU-Fieldではレコードの買取のお手伝いをおこなっています。
素晴らしい音楽や芸術を、次の世代に引き継ぐためにも【処分】ではなく【買取】を選んでいただけると嬉しいです。
どうぞ、お気軽にご相談ください!