1962年の結成から現在まで、一度も解散することなく活動を続けているザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling stones)。「ベロ・マーク」でもお馴染みですね。
ビートルズとならぶその影響力は、「世界最強のロックンロールバンド」と称され、後進のミュージシャンに与えた影響は計り知れません。
メンバーの年齢も70歳を超え、今もなお精力的に活動をしている姿は、唯一無二ではないでしょうか。
今回は、半世紀以上にも及ぶザ・ローリング・ストーンズの歴史を振り返りながら、レコードの買取相場もご紹介していきます。

ローリング・ストーンズのメンバー

メンバーの加入・脱退が何度かあったザ・ローリング・ストーンズですが、今回は結成から現在まで活動しているオリジナルメンバーについて解説していきます。

・ミック・ジャガー

言わずと知れたザ・ローリング・ストーンズのフロントマンで、ギターのキース・リチャーズと「ジャガー/リチャーズ」の名義で数々のヒット曲を生み出しています。
強烈な個性と色気でファンを魅了し、女性関係では数々の浮名を流しました(4000人以上の女性と関係を持ったという逸話があります)
「ベロ・マーク」はミック・ジャガーの特徴ある唇と舌をモデルにしたという説もあります。

・キース・リチャーズ

ロックミュージック=不良の音楽というイメージの代表格であるザ・ローリング・ストーンズのアイコン的存在と言ってもいいかもしれません。
麻薬常習によって幾度となく逮捕・起訴され、ドラッグで死にそうなロックスターと何年も言われていました。
「ドラッグ治療の一環で全身の血液を交換してもらった」という逸話もあるほどで、クリーンアップに成功した後も、長く生きられないのではと疑念を持たれています。

・チャーリー・ワッツ

ジャズに影響を受けた独特のドラミングで、ザ・ローリング・ストーンズの音作りを支えています。
女性関係やドラッグなどのイメージが強いザ・ローリング・ストーンズの中で、唯一初婚を貫いていますが、ドラッグ中毒、アルコール依存症などの歴があり、ホテルの7階からテレビを放り投げるなどのワイルドな一面もあったようです。

ザ・ローリング・ストーンズの代表作と買取相場

・ザ・ローリング・ストーンズ(1964年)

ファースト・アルバムです。R&Bのカバー曲が多く、オリジナル曲は3曲だけですが、タイガースなど日本人アーティストにカバーされた人気曲「テル・ミー」などでセンスを見せています。英国では「ウィズ・ザ・ビートルズ」を蹴落とし1位になりました。
国内初回盤は「これがリヴァプール・サウンドの決定盤!! 」という帯のついたペラジャケ(MH-190)で、帯付きで状態の良いものでは数万円での買取が期待できるレコードです。

・アウト・オブ・アワー・ヘッズ

英国ではサード・アルバムですが、米国や日本では4枚目のアルバムになります。収録曲も英国盤とは異なります。国内盤ではヒットシングル「サティスファクション」が1曲目です。イギリスのバンドはビートルズにしろストーンズにしろ、シングル曲はあまりアルバムに入れず、新曲をたくさんアルバムに入れていましたが、当時の米国や日本ではお構いなしにシングルを入れていました。
国内初回は独自のジャケット・デザインで「ローリング・ストーンズ 第4集(SLH-36)」というタイトルになっています。帯付きの綺麗なものはやはり数万円での買取が期待できます。

ローリング・ストーンズの歴史

結成~1980年代の活動

白人による本格的なR&Bバンドというコンセプトで、1962年に活動を開始。
当時のリーダーはブライアン・ジョーンズで、英国で初めてスライド・ギターを演奏した1人と言われています。
1965年に発表したセカンドアルバム「ザ・ローリング・ストーンズNo.2」はチャート1位、アメリカ版もチャートで5位となり、その後発表されるシングル「サティスファクション」は全米で4週連続No.1を獲得。
ザ・ローリング・ストーンズの代表曲であり、ロック史においても重要な曲となります。
1966年に発表したアルバム「アフターマス」ではブライアン・ジョーンズがダルシマーやマリンバ、シタールなどを演奏しマルチな才能を発揮。
しかし、このころからブライアン、ミック、キースの三人は、気晴らしに麻薬を使用するようになり、逮捕されることとなります。
その後音楽シーンに戻ってきますが、ブライアンは薬物を幾度となく使用し、活動に障害がでるようになりました。
1969年に脱退し、その1ケ月後、自宅のプールで溺死しているところを発見されますが、現在でも自殺か他殺、もしくは事故なのかは不明のままです。
同年、アメリカのオルタモント・フリーコンサートを主催したザ・ローリング・ストーンズですが、演奏中に観客が殺害される事件が起こり、ロックの歴史に名を残す重大なイベントとなりました(別名:オルタモントの悲劇と言われています)

1970年には自らのレーベル「ローリング・ストーンズ・レコード」を設立するも、薬物関連が足を引っ張ります。
1973年に予定していた来日公演は、麻薬所持の逮捕歴などを理由に入国許可が下りず、チケットは完売していたのに公演は直前で中止となり、来日は夢のまた夢と言われました。
1970年代後半にはパンクブームが生じ、ザ・ローリング・ストーンズを批判する声もありましたが、1978年に発表したアルバム「女たち」は若年層の人気回復に貢献。しかしながら、ここから1980年代前半まではスランプの時期に突入します。

1980年代~1990年代の活動

1981年に発表したアルバム「刺青の男」に収録されている「スタート・ミー・アップ」はアルバムより先にシングルで発表しており、アメリカで2位、ビルボードチャートでは22位を記録しました(ミックは80年代の代表曲と言っているそうです)
1982年にはバンド結成20周年を記念し、ライブツアーをおこないますが、このころから、メンバー内の人間関係が悪化し、ソロの活動を始めていきます。
1989年ロックの殿堂入りを果たし、アルバム「スティール・ホイールズ」を発表。
ザ・ローリング・ストーンズの氷河期の終わりを告げる作品となりました。

1990年代~現在の活動

アルバム「スティール・ホイールズ」の発表に続き、ワールドツアーを開始し、ついに初来日をここで果たします。
このツアー成功後、ザ・ローリング・ストーンズは少し休息がてら、ソロ活動やベストアルバムなどの発表をおこないました。
1994年に「ヴードゥー・ラウンジ」を発表し、イギリスで1位、アメリカで2位を獲得。翌年のグラミー賞ベストロックアルバムも獲得しています。
2002年にバンド結成40周年を記念して発表したベストアルバム「フォーティ・リックス」は世界中で700万枚以上を売り上げ、Q誌の「死ぬ前に見るべき50のバンド」のひとつに選出されました。
2012年にはバンド結成50周年を祝って、写真集「50」を発表し、アイコンである唇のロゴも新しいバージョンが使用されました。
2022年にはバンド結成60周年ですが、一体どんなことをするのかワクワクしますね。

まとめ

ザ・ローリング・ストーンズの歴史を振り返ってまいりましたが、いかがでしたでしょうか?
半世紀近い歴史は膨大で、そして歳を重ねるにつれて、人はまるくなっていくのだなぁと感じました。
さて、TU-Fieldでは聴かなくなったレコードの買取のお手伝いをおこなっています。
レコードはダウンロードやCDでは手に入らない、廃盤になった作品も多くあります。
音楽や芸術を次の世代に残すためにも【処分】するのではなく、【買取】を選んでいただけたら嬉しいです。
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